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2015年 02月 23日

Viollet-le-Duc (ヴィオレ・ル・デュク)展

1ヶ月前ですが
友だちから誘われて19世紀のフランス建築家
ヴィオレ・ル・デュク展を解説つきで見学しました。
名まえくらいしか知りませんでしたが
展示会へ行ったおかげで
その人物に興味を持つことができた。


Viollet-le-Duc (ヴィオレ・ル・デュク)展_d0199677_3151734.jpg


レンズに近づいて見ると
紙の上に物体が映るので模ることができる。


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ヴィオレ・ル・デュクの生涯 (ウィキペディアより)

1814年パリの裕福な家庭に生まれた。
知識人を招いたサロンを開いていた母エリザベトや
その兄で美術評論家としてスタンダールや
プロスペル・メリメらと交流のあった伯父ドレクリューズの存在もあり
幼い時から知的交流のあふれる教養的な家庭環境で育つ。


Viollet-le-Duc (ヴィオレ・ル・デュク)展_d0199677_3154641.jpg


絵画に早くから才能を示したが
フランスの正統的な建築教育機関エコール・デ・ボザールを
「建築家を鋳型にはめ込むもの」と批判し、入学を拒否。
その後はフランス各地を巡り、中世建築のデッサンなどに励む。
また、デッサン学校で教授代理として教鞭を執る。


Viollet-le-Duc (ヴィオレ・ル・デュク)展_d0199677_3153519.jpg


1836年にはデッサン学校の教え子とイタリアを旅行した。
古典建築の傑作を賞賛するも
古典様式をフランスの風土や慣習を考慮せず無批判に再現しようとする
ボザールの姿勢に改めて疑問を持つようになる。
そして改めて、母国では無視されている中世ゴシック建築への敬愛を深めていく。


Viollet-le-Duc (ヴィオレ・ル・デュク)展_d0199677_3155531.jpg


その後、メリメの推薦により古建築の修復に関わるようになり
1840年からのラ・マドレーヌ教会堂の修復を手始めに
パリのサント・シャペル、ノートルダム、アミアン、ルーアンの大聖堂など
多くのロマネスクやゴシックの教会堂、城館の修復、復興に携わった。

修復の傍ら、その経験を元に『中世建築辞典』(1854-1868年)を著している。
1863年にはボザールの教授になるも学生や教授らとの意見の対立により辞任。
その後発表した『建築講話』(1862-1872年)において自らの建築理論を展開した。
1879年スイスのローザンヌにあった自邸「ラ・ヴェデット」にて死去。


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by lenoel | 2015-02-23 04:33 | patrimoine etc...


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