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☆~ 美味しいものめぐり Paris ~☆ 

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2013年 07月 09日

ロダン美術館 

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とても暑い日の日曜日
久しぶりにロダン美術館へ行きました。

ロダンの作品をみて思い出すのが
ロダンの愛人、悲運の彫刻家、破滅の恋・・・
と呼ばれたカミーユ・クローデル。
ロダンがすべてだった一途な激しい愛と
痛々しくて、切ない人生を。


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(オーギュスト・ロダン Wikipedia)
パリ在住の労働者階級の子として生まれた。
父ジョアン・バティスタは警察に雇われる事務員で
オーギュスト・ロダンは妻マリーとの間に
生まれた二人目の子供だった。

ロダンはエコール・ボザールなどの
美術の専門教育(アカデミズム)を受けず
特に青年期以降はほとんど独学で
彫刻を習得したことで知られている

教え子のカミーユ・クローデルと出会い
この若き才能と魅力に夢中になった。
だが優柔不断なロダンは
カミーユと妻ローズの間で絶えず揺れた。

数年後ローズが病に倒れ
カミーユがローズと自分との選択を
突付けるまで決断できなかった。

ロダンはローズの元に逃げ帰り
ショックを受けたカミーユは以後
徐々に精神のバランスを欠き
ついには精神病院に入院
死ぬまでそこで過ごすことになる。


カレーの市民
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(カミーユ・クローデル Wikipedia)
子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していく。
そしてまた類まれなる美貌をも持っていた。
19歳の時に彫刻家オーギュスト・ロダンの弟子となる。
時にロダン42歳。
2人は次第に愛し合うようになるが
ロダンには内妻ローズがいたため三角関係となる。
その関係はその後15年にわたって続いていく。


3つの影
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ローズは大きな心の安らぎの存在であり
カミーユは若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在であったため
ロダンは2人のどちらかを選ぶことはできなかった。

その中でカミーユは20代後半にロダンの子を妊娠するも中絶し
多大なショックを受ける。
2人の関係は破綻を迎え
ロダンは妻ローズのもとへ帰っていく。
カミーユは徐々に精神を病み、40代後半に発狂する。


地獄の門
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1913年3月10日
48歳の時に家族によってパリ郊外ヌイイ=シュル=マルヌの
ヴィル・エヴラール精神病院に入れられた。

その後第一次世界大戦の影響で
南仏のモントヴェルク精神病院に移動させられ
そこが臨終の地になった。

ルイーズはカミーユの芸術に理解を示さなかったため
2人の間には生涯確執が消えることはなかった。
そのためルイーズと妹は精神病院に見舞いに行くことは一度もなく
ポールが数年に1度見舞うのみであった。

しかしポールも結婚し
外交官として任地の上海へ向かった後は
姉と会う回数が激減した。


考える人
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晩年は毎朝決まって病院構内の礼拝堂に向かい祈った。
カミーユは誰とも口を聞こうとせず
一人自己の世界に閉じこもった。

また、ロダンへの憎しみと周囲の患者を見下すことで
かろうじて自己の精神の孤高を保った。
後年のみすぼらしい身なりで痩せこけ
精彩を欠いた姿に面会したポールは愕然としたという。


Hanako
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1943年、家族に看取られることなく亡くなった。
78歳没。
終生願ったのは故郷に帰ることであったが
叶うことはなかった。

精神を病んだ後カミーユは多くの作品を破壊したが
そのうち約90の彫像、スケッチ、絵画が現存した。
死後の1951年、ポールはロダン美術館で彼女の作品の展示を行った。


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(オーギュスト・ロダン Wikipedia) 
ロダンの末期の言葉は『パリに残した、若い方の妻に逢いたい。』だった


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by lenoel | 2013-07-09 09:28 | patrimoine etc...


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